心の流れBlog

心の守り方を考える

いつも自分が一番下、価値のない自分に悩む

市場原理でいうと、お金を払う人が一番強い人ということになる。
しかし、私はその立場にたってなお、相手に気を遣いすぎて疲れている。
相手が売る気がなくなって、やーめたと言い出さないはハラハラドキドキ。
でも、冷静に考えれば、そんなことはありえない。
売る側はどうしたって買って欲しいのだから。

反対に私が売る側に回った時には、「相手はお金を出す人なんだから」と上げ奉っている。絶対的上下があるかのように。


おかしくねぇか?だったら自分が買う側の時、ふんぞり返ったっていいはずなのに。
そこで考えた。「なにゆえ、いつも相手より心理的に弱い立場に置かれるのか?」と。

そういえば、私の母親は私を価値のない子として育ててきた。
私という存在を認めることはなく、「価値がないんだから家事ぐらいできなさい」、「価値がないんだから勉強くらいできなさい」と、ことごとく価値がないからこそなんかできるようになれ、と脅迫してきた。

そのせいか、私は自分に「私なんて価値がないんだ」というフィルターをかけまくってしまい、何をするにも自信がないという状態が定常化してしまった。
頭の中には、「どーせおまえなんて」とか「あんたは不完全」というイメージがこびりついてる。だから大したことないことをするのも一苦労。

たとえば外出。自分が外出する前にした行動に自信がない。
ガス閉めた?戸締りは?忘れ物は?
延々に回り続ける「私、なんかミスしたかも」ループ。
こんな自分への疑いが日常茶飯事。
そりゃ、生きてるだけで疲れるわい。

無価値感に取りつかれた私は、資本主義上最も強い金を支払う立場になっても、売ってくれなくなるかも不安に取りつかれて、下手に下手に出る。
アホちゃうんかい、と自分でもヤになる。

金があるから偉そぶっていいというものではない。
しかし、必要以上に気を使い下手に出る必要もない。
冷静に、客観的に、言いたいことをいい、相手から譲歩を引き出し、交渉していく必要がある。
そして、そうすることが大人として求められている。

ー心をどこに置くのかーその答えをずっと探し求めている。
弱い心は叩けば強くなるというものではない。
弱い所以を探し、フラットに戻してやることが、弱い心を脱却する唯一の手段に思う。
私は私の心を叩くのを、もう辞めなければいけないのだな。
無理にポジティブを装うなんて、自分を否定するだけの行為。