心の流れBlog

心の守り方を考える

きつい人と思われる誤解の根源

誤解されやすい人がいる。
その人は、親しくつきあうと第一印象と違うね♪と言われることで、やっと本当の自分を理解されたと喜ぶ反面、誤解されやすい性格なんだなーと落ち込む。
では、相手が人を見ぬく目が欠けていたかというと、実は誤解を受ける側は誤解されるに足る態度を取っているのである。

たとえば、誤解されやすいケースにありがちな、第一印象「冷たい、キツイ」。
隣の人と同じ内容を話しているのに、私だけわがままとか自己中って言われる。なんで?

それは、人間は話している内容より、話しているときの態度の方が目に付くから。

分かって欲しいと真摯に構えるのと、分かって当然でしょと横柄に構えるの、同じ話してても、全然印象が違う。
そして、分かって当然でしょの人は、大概正しいことを言えば通ると錯覚している。

人間は正しいことだけを受け入れて生きるわけじゃない。
試しに寂しい独居老人がだまされたケースなんかを思い出して欲しい。
だまされると分かっていても、優しく接してくれることがうれしくて、相手をむげに出来なかった・・・とおっしゃる。
人間にとって一番大切なのは、自分が理解されること・受け入れられることなのである。

正しさが一番だと思っている人は、正しければ相手は受け入れるべきだという思想にとりつかれている。
だからどうしても、押しつけがましい態度をとる。
それが、相手から見ると、突き放された、こっちの話に耳を傾けてくれないという印象につながり、「冷たい、キツイ」となる。

私が尊敬する伊藤忠商事会長、丹羽さんが、「自分の評価は他人がする」という言葉を大切にしているとおっしゃってた。最初聞いたときは、当たり前すぎて、全然ありがたみがわからなかった。
けど、今になったら分かる。
私の正しさより、他人が私を正しいと思うことの方が重要なんだって。
つまり他人に私の意見を肯定したくなるような何かを与えなければ、そもそも他人はこっちを支持してなどくれない。

他人に与えるものは、相手の意見を聞く態度かもしれないし、他人が誤解していることを辛抱強く論理的に説明することかもしれない。
どちらにしても「我」を抑えて、相手ありきの考え方をすることなのだ。

過去の私の会話のスタイルは、相手の話を黙って聞くか、自分の言いたいことをドバッと口にするかの二択であった。
でも、これ全然会話になってないよね。
話が終わったときに、互いの充実感がないんだもん。

そうはいっても、どういう話し方をするかは個人の自由。
自分が正しいと思うことを優先するなら、それはそれでもいい。ただ人に理解されることは完全にあきらめなくてはならない。
逆に相手に理解されることを優先するなら、自分が理解されることは二の次にしなくてはならない。

ずっと「我が、我が」としゃしゃり出ているのに、理解されないと落ち込むのはお門違いである。
いいとこ取りのないものねだりは、無駄なんで、辞めた方がいいと思います。