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心の守り方を考える

受け身な人は、人をもてなす気0、自分をもてなす気100

受け身な人というのは、自分に意識が向いている。
他人が我を誘い/他人が我を喜ばせ/他人が責任を取ってくれる ことを当たり前としている。
要するに、他人が自分をもてなすこと前提。
だからもてなされない状況が続くと勝手に落ち込んだり、他人を攻撃する。

こういう人は、自分から相手をもてなすという感覚がない。

相手から「私ももてなされる権利あるんですけど!!」と反論されると、きょとんとする。言われている意味が分からないから。
挙げ句、「私はもてなすのが苦手なの。だから許して」と言い出す。
相手が気の優しい人であれば、「しゃーないなぁ、じゃあ私がもてなす側にいてあげるね」という。
結果、受け身がますます加速する。

たまに出現するとんでもなくお高くとまった人物というのは、このようなプロセスを経ている。
一度たりとも、自分が人をもてなす責任があると思ったことのない生き方。
人をもてなして、自分もうれしくなるという体験をしたことのない生き方。

しかし、人間は互いがアンフェアーだと思うと、関係は徐々に崩れ始める。
そして最後にはだれにも相手にされなくなる。
かといって、この手の人間は寂しがり屋なので、「独りでもいっか」という開き直りができず、次のターゲットを探し求める。

そのターゲットになりやすい人柄というのが存在する。
そうやっていつまでも、もてなされる世界の住人でいることは、害悪以外の何物でもない。
受け身の人に迷惑している人間は、時にバシっと真理を突かなくてはならないと思う。
「アナタにも人をもてなす責任があるんだよ」って。

厳しい言葉は耳障りかもしれないけれど、長い目で見たときには、相手の血となり肉となる。
表面上仲良くすることが、人付き合いの本質ではない。
お互いがいい具合に成長できることが何よりの効能である。

耳あたりのいいことばかり言って、相手に成長の機会を与えないことは、実はとても冷たいことなのかもしれない。