心の流れBlog

心の守り方を考える

「ありがとう」は場合によっては冷たい

ありがとうと言われて、がっかりしたことはないだろうか?
私は心を込めてあれこれやったのに対して、そっけなく「ありがとう」とだけ返されたとき、なんだか” とりあえず ”で返事されたように感じる。

言葉というのは、言うのが難しい場合もあれば、棒読みできる場合もある。

そっけなく「ありがとう」とだけ返されたときは、後者のように理解する。
だから「ありがとう」にまったく重みがなくて、ただ「あ・り・が・と・う」という文字の羅列にしか感じられない。

それと、「ありがとう」が人々に浸透しているから、表面上は礼を通してるよねってなって、だれも問題視しない。
でもなぁ、私はそれが拒絶にさえ感じることもある。
何にお礼を言ったらいいか考えるの面倒くさいから、とりあえず「ありがとう」って言っておくわ。⇒みたいに心の交流どころか、相手を向こうへシッシと追いやる手段として使われてる感さえある。

言葉というのは、その人の考えを他者に伝えるツールであって、考えることをショートカットする手段じゃない。
でも、ありがとうのような定型語句はそれを可能にする。

人間同士のつきあいに手抜きなど、本来認められていない。
何かする・されるの関係において、思考の停止はあってはならない。
ただ、会う人全てに対し同じように思考を割いていてはまた、自分の人生を生きることができない。
必然的に、気を配る人、配らない人に色分けされる。

私が「ありがとう」で一蹴されるのならば、相手は私にあまり気を配りたくないってこと。
ならばこちらもその程度の付き合いだと思って、相手に深入りをしないこと。
それが相手の望む人付き合いの深さなのだから。

って、きっとほとんどの人が定型語句使ってんだよねー。
やっぱり回り回って、自分の望む人付き合いムリ、ってことで独りぽっち。
今日はクリスマスイブだから、クリぼっち?!