心の流れBlog

心の守り方を考える

徹底的に自分の短所と向き合うぞぉー

全く他人さんから大事に思われない私。
まっ、ひと言で言えばちょっと軽んじられてるわけですな。
そんな自分を変えるべく、自分の短所と向き合ってみましょ。

 私は相手が要望しなくても、先読みしてやってしまう便利な人。

それって、気が利くんじゃなくて、どこかに自分を良く思われたい・評価されたいって下心があるんですな。
でも相手は黙ってやってくれてるんだから、私にそぅ有り難みを感じることなく、むしろ全くやってくれない人が、極々たまにやってくれる方に感謝する。
「うわっ、滅多にない、凄ぇ~!!」ってね。

同じことでも希少性を出せば、そんだけ有り難がられる。
ということで、「先読みしない」は超重要。
かといって、相手に丸投げはイカンよ。要するに匙加減。

でね、普段頑張っても頑張っても相手から感謝されないから、私の中に鬱憤が溜まるのね。
だから私の話に耳を傾けてくれそうな人が現れたり、質問を振られたら、ドォーって堰を切ったように話続けんの。
必要ない所まで細かく。
結果、結論がぼける。論点が埋もれる。
相手には、「この人要領得ないね」とか思われちゃうわけ。
でも、鬱憤溜まってる人に「端的に話しなよ」とかいっても無駄無駄。
それは、トイレに行きたくてしょーがない人に、「まぁ一休みしてからトイレにでも行ってください。急がずにね。」ていってんのと同じ。
生理現象みたいに切羽詰まった状態ですから。

ということで、人の前に立った時冷静に話しましょう、言葉を選びましょうの前に、まず鬱憤を溜めない・溜まっても自分で逃せる様になりましょうが先なわけね。
つまり他人さんに大事に扱われる自分になるか、粗雑にされても気にしない自分になるか。

最終的にやっぱり「自分で自分を大切にしましょう」に回帰するわけ。
私は他人さんに優しくしない自分であっても価値ある自分であると思えるだろうか?
むしろ何もしない方が他人さんの為やないやろか位の思いを抱けるだろうか?
自分と他人を区別するというのは、相手のことを信じて相手がやることには手出ししないということ。「やって」と言われない限り、やらないということ。
そうやって自分と他人を切り離したときに、それでも私は私として、価値ある存在としてこの場に立ち続けられるということ。

嫌われてもいいやなぃか、と思えるくらいの割り切りが必要。
でも同時に相手への尊重も必要。
自分は削らない、他人を削らない。
境界でお互い居る。