心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

周りの攻撃にぺたんこにやられる自分

ジェットコースター並に乱高下する自分への無価値感。
普段はじっと心奥に控えてるんだけど、たまにガッっと前に出てきて「オマエなんか無価値だ」と追い立てる。結果、自分を殺そうとすることが何度かある。(勇気ないから完遂できないけどね)

そんな自分の性格は、まるでボーダーライン(境界性人格障害)のよう。

激しく、とても激しく揺れ動く。
普段穏やかな表情をしている私からは想像つかないだろう。

でもね、自分を支えるもの、がからきし無い私には、外から受ける攻撃を跳ね返す力が無いんだ。
だから強い外力が掛かれば、ぺっしゃーんってつぶれる。
それが怖くて、他人と接すること、外に出ること、が怖い。⇒これひきこもりのセオリーね。

たぶん、小さい時に母親が、子供の観点が持つ知恵を重視することと親が持つ知恵を重視することのバランスを欠いたまま子育てをしたことが原因。
母親が自分のことを絶対的に正しいと信じ、親の持つ知恵ばかりを優先した結果、子供を不認証してしまい、KOMAが自分で正しく判断できるんだと思える自信の芽を摘み取ってしまった。
結果として、私は何事にも対抗できず、それゆえ外の世界が怖くて仕方なくなってしまった。
今でも世の中に出ていけないのは、その性分が大いに関係ある。

結構私みたいな人よぅけおると思う。
こういう人の口癖は決まって「すいません」だ。
何かあったら自分のせいだと決めつけてしまう。
相手が不利なことを言ってきても、大概相手を優先してしまう。
結果、相手からはいいように扱われ、軽んじられて、場合によってはそれに耐えきれなくなって関係は断絶。
よって、長期にわたる人間形成が苦手。

また交渉ごとが極端に苦手で、感情だけでまくしたててしまうか、それとも押し黙って相手の要求を飲んでしまうか。
いずれにしても対話らしい対話は人生に存在せず、交渉出来る人を指くわえて見てる。

対話が出来ないということは、人との出会いにも恵まれないということ。
自分に寄ってくるのは、同じく対話のできない人。
だから、極端に積極的、逆に極端に消極的な人が多く、学校で花形だった人とは縁遠い。
いじめを受けるわけじゃないけど、なんとなくの疎外感をもって学校生活を送っている。
青年期は、「真の友達」「心から分かち合える仲間」を求めたりなんかする。
自分の心の穴を友人に埋めて貰おうとしてね。

なんか自分がクシャーてつぶれる感じがするときがある。
相手が困ってるのに、手助け出来なかったときとか、とっさの機転が利かなかったときとか。
自分はなんでなんもでけへんかってん、って寝る前に自分を責める。
そのせいで、恋のチャンスとかも、ほぃほぃ逃してる。

走り幅跳びは踏み蹴るから遠くへ飛べる。
でも私の人生には、踏み蹴るという場面がない。
地面をしっかり踏みしめる自信がないから。
他人さんに、「ほら、踏めまっせ」と誘導してもらわなんだら、踏めないような気がしてる。
まぁ当然ながら、そんな他人はいないので、まだ踏み蹴れてないんですけどね。

自分の軸や芯を持つとか、自分好きになりまひょとか、そんなんがとてつもなく高くそびえ立った壁のように感じるんは、「自分、いけるで」という心を声がないからや。
心の声を己で作れんからや。
ガネーシャは誰の傍にもおるけど、でも自分がガネーシャに会いたい思わなんだら、その姿は見えん。
ガネーシャが一時の自分の心の声の替わりしてくれよる。

人が怖いというのがなんでなんか分かったよぅでスッキリ。
ね?全然意味ワカランでしょ?所詮私の独り言ですからな。