心の流れBlog

心の守り方を考える

見えないけど心の闘争は確実にある

誰かと誰かが話をしているのを第三者的に見ているとき、得点など表記されなくても「コッチの方が優位」と感じることはないだろうか?
実は心の世界は、明確に示されなくても優劣を感じ取ることが出来る。

では、自分が話をする側になったとして考えてみると

最初から負けると決めつけて試合に臨む場合、勝負に負ける。
「勝てる、勝とう、勝つぞ」と思うからこそ、必死で頭は勝つ方法を探り、精根尽きるまで戦う。
結果勝率が上がる。

我々ACは勝負の前に「自分は負ける」と決めつけてないだろうか?
口の悪い、支配したがりの、傲慢な人間を前に、唇をぐっと噛みしめ悔しさに堪えて戦うことを放棄していないだろうか?

確かに相手が口撃してくるなんてこっちは想定していないから、最初ビックリするだろう。
でも、もし一度引いてしまえば、相手はつけあがる。
ヘタでも格好悪くても立ち向かわねばならない。
否、相手をやっつけるというより己を守らねばならない。なんといっても自分には守られる価値があるのだから。

最近心の置き所というのを考えるようになった。
後ろで控えめに潰されるのでもなく、かといって前にガンガン出て相手を意のままに操るでもなく、ちょうど真ん中らへんで自分を愛で包み、でも愛を阻害するヤツがいたらタダじゃおかねーぞというドスを地味に効かせながらいるポジション。
他人に潰されない幸せ、自分の底から湧き出る幸せ、そーいう「自分!」という確たる軸を作ること、一歩も引かないことによって、何かしらの世界が見えてくる気がする。

私、私、私を作る。いい具合の自分を探し続ける私。