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~機能不全家族という概念が認知されにくい理由~

ざっぱーさんへ

こんにちは。遅くなりましたが、約一月前にいただいたメールの返事をしますね。
発言小町のトピックに一通り目を通しました。
私自身は、そのトピックに対して今・この瞬間でいうと、「何も思いつかない」が正直なところです。

例えば、ある人が大学入学試験で合格した!と喜んでいる瞬間に、大事な人を失い哀しみにうちひしがれる人がいるように、人というのは幸も不幸もばらばらに不均衡にやってきます。

ですから、機能不全家族で苦しみを感じている人がいる一方で、一家団らん幸せを感じている人たちもいるのです。

何が不幸でなにが幸せかは、その人その人の心が決めるので、「親との関係がうまくいかない」という事実を以て即不幸と決めつけることもできません。特に<関係性>というのは断定的でないがゆえに、即物的感覚を持つ人からすると非常に捉えにくい。
だから親との関係性を誰かに相談しても「みんな、そんなもんよ~」で流されるのです。

もちろん、詳細に見ていけば[機能不全家族]と[単に皆の趣味がバラバラな家族]の違いはあぶりだせるかもしれません。
ただ随分と根気が要りそうです。

私はざっぱーさんが発言小町で言いたかったことは、これじゃないんでは?と思っています。
私の回答を見ても分かる通り、答えが上滑りなんです。
議論の場に理知の香りは漂っているけど、突いて貫く剣がないと感じます。

ざっぱーさん自身は、機能不全家族云々より、「どこへいけば自分を理解してくれる・心を寄せられる場所があるのか?」を問いたかったのではないでしょうか。
もし、機能不全家族に対し世間の理解が広まったなら、ざっぱーさんが「機能不全家族の中にいたんです」のひと言で、周りが理解を示してくれる。それを求めていたのではありませんか?

確かにまだまだ一般性のない「機能不全家族」という概念ですが、もし概念が広まったとしても、個々に抱えるケースの多様性は無数にあると感じます。
そのケースに対応できる能力の高い人というのもまた限られると思います。
3つ前の記事「コンテキストから理解する」に挙げたベテラン医師のような人はなかなか目の前に現れてはくれない。
だとしたら、我々にできることは自らを意識して他者にそれを与えることです。
ただ待つより自分が与える側になる方がずっと求めるものに近づける。
何故って、我々は意識を内在化することもできるからです。

ざっぱーさんのお訊きになりたかったこととズレて恐縮ですが、今の私にできる回答はこのようになります。

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