心の流れBlog

心の守り方を考える

周りから置いてけぼりになる人

私が誘えばみんなついてくるけど、私は誘われない。
知らない間にいつも誘っているメンバー同士で横繋がりが出来てた。
私は人に尽くすのに、私になにかしてくれる人がいない。

こういう不満を抱く人がいる。

友達が欲しいから積極的に動いているのに、動いていない人同士でいつのまにかコミュニティー形成されてて、頑張った私って何なの?って。
まぁ確かに人間は努力しただけ成果は求めたがるし、努力していないのに成果がでる人を羨ましく思うものだ。

しかし、そもそも人間関係は努力して作るものなのだろうか?

ちょっと喩え話をする。
学校で授業中一生懸命先生の話を聞いて、分からないことは質問して、授業という時間を100%満喫する生徒がいる。
一方授業中は居眠りばかりで、授業という時間を有効に使わない生徒がいる。
さて学期末のテスト一週間前になった。
授業を満喫している生徒は、テストだからと特段あせらずサラッっとノートを復習してテストに臨む。
居眠り生徒は、ヤバいと焦って一週間勉強しまくりテストに臨む。
どちらがテストの結果がいいだろうか?
この場合は、授業を満喫している生徒だ。
なぜって詰め込みで勉強しまくっても、学問の本質は短時間で理解不能だから。
一週間前という時間で区切って見ると、と努力していない生徒の方が成果を手にしている。
これは理不尽な話であろうか?

実はこれと同じ事が人付き合いの中に起こっている。
人とつながる努力というのを、「誘うこと」だと思っている人は勉強しまくりの生徒のように普段は心が居眠りしている。
即ち、人と一緒にいるときにその場でもっとも求められていることが何かを積極的に考えない。大概自分語りに入っている。
自分語りは、気持ちいいだろうが聞かされる側は苦痛である。笑顔で聞いてくれても、内心楽しくなかろう。
積極的に考えられる人は、聞かされる側のことも考えるから相手を飽きさせない。相手が興味のある話題にしたり、時に相手に華を持たせる質問をする。
だから次回も会いたいと思われ、コミュニティーのメンバーになれる。

結局のところ、人付き合いは義務ではないので一緒にいてつまらない人にはわざわざ声なんて掛けない。
そこのところをよく分かっていない輩が、思い悩むループにはまる。
本格的に人付き合いをしたいなら、まず誘うことを辞めて一人の時間を充実すること、誰かと話すときは相手のことを考えること、交友関係こそが我が価値という観念を捨て去ることだ。

一人でいられない人に誰かと一緒に生産的な時間を構築することなど出来ない。
みんなと離れて一人で数年生きる。そうすれば自分が誘われなかった理由が明らかになります。