心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

がさつで雑な理由

私は作業をするのは早いが雑な仕上げをする。
その雑さが長年嫌だな~と思っていた。
他人が同じ作業をするのを見て、”な な なんて丁寧なんだ!”と驚くことはしばしば。

さて、その雑さは単なる性格の問題と今まで捉えていたのだが、ふと違うかもと思い始めた。
私の雑さは幼いときからスピードと成果を求められた結果なのではないかと。
自分を第三者的に観察すると、
一つのことに集中して最初から最後までやって、それから次のことをやって、というシングルタスク型ではなく、
一つをやり始めて途中までいったら次のことが気になってそれを片付けてから最初のことを仕上げるというマルチタスク型の動きをしている。
マルチタスク型を選択するのは、終わったときに”たくさん成果が出た”と安心できるから。
でもその一方、ジョブ(やるべきこと)を抱えたままになるので常に複数のことを考えておらねばならず、そのせいで一つのことに割ける神経の細やかさに欠ける。
ジョブが終了したとき、できているけどなんだかなぁ~感が自分の中に残る。

幼き頃から成果が評価される環境に身を置いたからこそ、成果が出ることに安心し、成果が出ないことに恐怖を覚えてきた。
即ち丁寧にやることより、ちゃっちゃっちゃと効率よくやることを重視して来たのだ。
試しに気になることを丁寧にやってみたら、かなり心に負荷がかかった。それでも雑にやるのもまた、仕上がりを見て心に負荷が掛かる。どっちもどっち。

母親が「なんでできないの?」「さっさとやりなさい」と口癖のように言うと、子供はスピードと成果が大事だと思ってしまう。
けれど人生で初めてのことにスピードや完遂を求めてどうする?
最初は丁寧に一つずつ理解しながらやっていくもんなんじゃないか?
親が「我が子ができなかったらどうしよう恐怖感」に突き動かされて、馬をムチで追い立てるように子供にヤレ!ヤレ!言うと、子供は怒られたくないから必死で訳も分からずやるだろう。
そんなジョブは当然ながら「雑」なのである。


即ち「雑」さは、その子がどれだけ追い立てられて生きてきたかの証である。
「雑」さは置かれていた環境が作りだした性質なのである。