心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

人をモノとして見る人から学ぶこと

”なんだか、この人利己的だな~”とか”冷たい感じがする”と感じる人は、「人をモノとして見ている」と思う。
相手(私)はモノだから、心なんてなくて、粗暴に扱っても、自分都合でぶん回してもいいよね!という横暴さが透けて見える。

例えば先日こんなことがあった。

田舎に帰った人が、私にお土産を持ってきた。
中身は田舎で取れる果物で、毎年何故かそれを持ってくる。
いただけるのは、嬉しい。ただ量が・・・半端ない。
1ネットでゆうに20個はあろうか。
一般家庭で一年に消費するのはおそらく5~6個。
そして日持ちはしない。
短期間に大量に消費できるわけもなく、毎年途方に暮れる。
そこで果汁を搾って冷凍することを思いついた。
それでなんとかいただいた品を保存できる。
今年はいただいた時に、「果汁を絞って冷凍すると、もつんですよ」と話したら、突き放すように「おまかせします」と返事がきた。
これの意味は、”私はお土産を渡したんだから、それでいいでしょ。後は勝手にやって”なのである。
その人はけして、私に心があって”こんなに量があったら困るってる?”とか”保存方法を一生懸命考えてるんだ” とは思わない。
差し上げたら、それで終了。
即ちその人は、私にお土産を渡したかったのではなく、私にお土産を渡す自分に満足していたことになる。

私はこういう態度を取られたとき、”嗚呼、この人にとって私はモノなんだな。私にも心があるということが分かってないんだな”と強く感じる。

たった一言で、人の考えは透けて見える。
尊重する考えなら尊重する言葉が、不遜な考えなら不遜な言葉が。

私たちは普段意識の上ではそこまで言葉に敏感じゃないので、お土産をくれる人==いい人 と捉えやすい。
でも言葉の発端になった考えに目が向くようになると、お土産なんかにごまかされず相手の真の心が見えてくる。
お土産をあげるというのは、「自分の株を上げたい」とか「自分はいい人だと満足したい」という欲によって引き起こされる行為。
それに対して、相手が気にしていることを自分も気にしてみるというのは、自己の欲を超越した「愛」による行為。

目を見開いて真実を見よう。
その先に、本当につきあうべき相手が見つかると思うから。