心の流れBlog

心の守り方を考える

私って心狭いですか?→はぁ?!

明らかに相手に利用されているのに、「嫌」だと思う自分の心より周囲から”心の狭い人”とレッテルをつけられることを恐れて「私って心狭いですか?」と訊く人のことが今では理解できない。(昔は自分もそうだった)

んじゃ、「お金貸してよ・頂戴よ」って言われたら、心が狭くないことを証明するために応じるの?

「私のためにあなたが働いてよ」って言われたら、心が狭いと認めたくない私は承諾するの?
あなたの臓器を提供して!と言われたら、自分はそれを断れないの?
最期に、「あなたの命ぐらい私にくれたっていいでしょ?保険金欲しいから死んで頂戴」って言われたら、「はい、分かりました」とでも答えるつもり?

なんでそこまで心が狭いレッテルを貼られることに拘り、自分の「嫌」という気持ちを尊重できない?
そんなんだったら、何処までいっても誰かに搾取される、つけこまれる。
最期命まで奪われるかもよ。

罪悪感とか責任論に押されて、自分のことをあまりに貶めてませんか?
だいたいこういうことで悩む人の9割以上は、心狭くないですから。。。むしろ他者の言葉に流されて許容広げ過ぎちゃってますから。
たまに世の中を渡るため他者尊重の礼儀を知らず、自分が損することを回避し続ける人に対して、「心狭いね」というレッテルは付くものの、それは余程目に余る行為だからです。
安心してっ!他者にビクついてる人間は、世間基準から外れようにも外れられないって。

そんなこと気にするより、まず自分の心の「嫌」を優先すること。
相手とぶつかっても、無理に気持ちを奥に引っ込めないこと。
相手をするのではなく、その場から去ること。

「お金頂戴」→「あなたにあげるお金はありません。」
「だって友達じゃない?」「友達とはお金を貸し借りし合う仲だとは思いません」
「そんなこと言わないでさ」「これ以上の話し合いは険悪になるので、失礼します」(と去る)

こうすれば、相手も次回からつけ込むことを辞めるでしょう。
一度許せばどんどん深みにハマる自分殺し。
「心狭いですか?」なんて見当違いのこと言ってないで、さっさと去るか解決方法を探りましょう。
心が狭いと決定しても、事態はなんら変わりませんよ。