心の流れBlog

心の守り方を考える

問題解決とカウンセリングの違い

将来本格的に人助けをしようとすると、必ずぶち当たるであろう壁「相談とカウンセリングの境目」について考えてみようと思う。

大概お困り事というのは、事実があって心情があってという順番だ。

だからカウンセリングにおいて、事実を先に述べられることが多い。

「夫が私の気持ちを分かってくれないんです!」
「会社でいいように使われるだけで、私の才能を誰も認めてくれない」
「苦手なお姑さんと上手くいかないんです」
時には
「カウンセリング受けたいんですけど、お金がないんです」

まるで、○○したら解決しますよ~といった言葉を求めているようである。
しかしカウンセリングとは、相手に具体的に何をしなさいと指示するところではない。
[クライアントが心の中を整理して、思想を正して] を手助けするまでが守備範囲。
具体的なことは全てクライアントが自分で考えて実行する。

ということは、明瞭な回答を求めてクリニックの門を叩かれても、それには応えられない。
しかし実際には事実と心情が渾然一体となっているわけで、
どう切り離して、心情(認知)の問題に持っていくかは、私の中で漠然としている。

カウンセラーは、事象に巻き込まれているクライアントがそもそも何故巻き込まれるのか?なぜ苦しむのか?を一生懸命探す必要があると思う。
自分を本当に分かってくれる人がいるからこそ、クライアント自ら這い上がってなんとかしようと思えるのだから。
もちろん、這い上がり方に対し、カウンセラーが一定のフレームワークを提示することくらいは許される。

カウンセラーに求められるのは、話を聴きながら、話に引っ張られず、メタレベルで理解し、必要に応じてフレームを渡すといったこと。
これって、かなり高度な技のように思います。
キャリアの浅いカウンセラーに当たると、「解決方法提示してる?」「カウンセラーの主観?」みたいなことを感じるのは、先のスキルを未だ身につけてないから。
カウンセラーが、クライアントの問題を上手く構造化して自身の中で分類分けできてない。
言葉にひっぱられて、相談に乗っちゃってる。

カウンセラー自身が提供できるサービスというのは、非常に限定的だが包括的な範囲だ。
この相反する意味を持つ範囲の区域を綿密に見分けられないうちは、まだまだカウンセラーとしてひよっこだ。

未来私が、そのひよっこになる可能性は十分にあるのだが。