心の流れBlog

心の守り方を考える

冷酷な人間とは

広島で16歳の少女らが元同級生を暴行・遺棄したニュースが話題になっています。
自首した少女以外の3人(だったかな?)は、反省の色を見せず、自分の身の上を案じているという報道がありました。

 これを知った世間の人々は、「なんと冷酷な人間だ。殺された人を思うのではなく、自分のことしか心配できないなんて…」と思うでしょう。

しかし実際そうではなくて、彼女らは他人を案じる・人を思いやる脳回路が出来ていないのです。
だから自分のことにばかり集中する。

先のブログ記事「デートプランを立てない人」でも出てきた[冷酷な人間]というキーワード、実は冷酷に見えるだけであって、本当は未熟なのです。
まだ「我」の外の世界に気がついていない、そんな極めて未熟な精神構造(もしくは脳の神経回路の未発達)がもたらした結果です。

彼らは養育過程において、十分な共感が得られなかったと推測されます。
自分の気持ちを人(親等)に分かってもらえるから、自分が人の気持ちや痛みに気付くことが出来るのです。
分かられなければ、分かることの価値が見いだせない。

価値の分からないもの、有効性の感じられないものに対し、人は思い入れや感情を持つことが出来ません。
だからこそ、殺された少女の痛みや無念さ、恐怖がまったくもって実感されないのです。

彼女たちが未成年ということは、少なからず親の保護下にあるということになります。
これは彼女たち自身の問題なだけではなく、豊かな心を育ててこなかった親にも十分な責任があります。

今の時代ムラというたがが外れて、自由という世界に遷移しつつも、我の中に自省の土台となる思いやりや愛が育っていないという危険性が、このように突飛な事件を生む背景にあるのでしょう。
切りつけ事件、盗撮・痴漢行為、各種ハラスメント、これらのものは全て共感力の欠如が引き起こしたといえます。

自由とはなんでもしていいということではない。
自分を制することができるから自由を認められているだけ。
では、自分を制する元はなにか?と言えば他者に対する愛。
愛なき自由はただの暴走。

この事件の犯人の親は、これを機に我が子に向き合って欲しいと願います。
親が本気で子供を心配し、子供の辛く悲しい気持ちに共感したとき、当の子供は自分のしてしまった事の意味、被害者への申し訳なさを心から感じることが出来るようになるのですから。