心の流れBlog

心の守り方を考える

分からない混沌とした世界に貴方は何を見いだせるか

ある人にぱっと言われた言葉に対して、即座に対応できず、釈然としないまま意見を飲まされるということがあります。

それをとても悔しく感じるのです。

もし瞬発的に論理立てて考えられるなら、NOと答えられますし、その理由も述べられます。

理由が論理的であればあるほど、相手は自分の意見を取り下げざるをえません。
結果として、私は強くなれるのです。

でも、それができない、そういう脳のない自分がいます。
「親孝行はするものだよ」という年配者の発言に対して、”常識やマジョリティーの意見はそぅだから”と、釈然としないまま、「まぁ…そぅですね」と答える自分がいます。
考えて見れば、発言側に立証責任があります。
なぜ親孝行はするものなのか?それは強制される効力を持つものなのか?例外は認められないのか?
でも、立証責任の所在すら見つけられない能なしの自分は、相手を追求することなしにまんま受け入れています。

これが頭を使っていない、いや使えていない愚かな人の姿と言ってよいでしょう。
だから悔しく感じるのです。
自分はそこまで堕落するような人間ではないって。

世の中でパッパッと出てくる言葉を即座にフレーム分けして、論理構造を作れないと相手にいいように従わされてしまいます。
いつまでも最下層から抜けられませぬ。