心の流れBlog

心の守り方を考える

手間と愛

ぱれん(柴犬)に一日何度も、すり寄られる。
たま~に”めんどくさいなぁ(ため息)”と思うこともあるが、「なぁに?」と努めて振り向くようにしている。
そんな自分を客観的に見て、”愛があればこそ、この態度に付き合いきれるのでは?”と思った。

生きていれば「めんどくさい」と思うことは、山ほどある。

自分のための用事、家族のお願い事、同僚の葛藤に付き合わされること・・・、それらはすべて出来れば避けて通りたいことであり、実行したからといって大して利があるように思えない。
それでも、取捨選択しながらやることはやっている。

私は昔から折り紙をきっちり折れる、封筒の端をぴたっと合わせて封のできるという丁寧な所作に憧れていた。
実はそれができる人達の心は愛に溢れていて、目の前の「モノ」にすら愛を与えていたのかも知れない。

翻って、自分。
何事も雑にてっとり早く、”とにかくやればいいでしょ”精神。
親に愛を与えられることなく、親から愛を略奪された子供時代。
だから私が親以外に愛を与える余力がなかった。

そして文字は汚いわ、ランドセルは帰ったら玄関に放り投げるだわ、宿題はぎりぎりまでしないわ、の雑子(造語:ざつこ)になったんだと思う。

「めんどくさい」を多く口に出す人は、少なからず私と同じように内面の愛が枯渇しているのかもしれない。
「いいことないかな」「ホント出会いないよね~」「マジ上司ムカつく」といった他力本願・他罰的発想もまた、「めんどくさい」と同種の臭いを放つ。

丁寧に生きられる人は、自分の問題点を整理し、変えられることから改革するので、常に目の前を明るく前進していく。
”なんかこの子、後ろ向きだわ~”や”一緒にいてもテンションが下がる”という人がいれば、注意深く観察してみるといい。
態度のどこかにめんどくさい菌が常駐しているハズだから。