心の流れBlog

心の守り方を考える

私は赤ちゃんに出来ていることが出来ない

赤ちゃんは、べきという思考を持たない。
だから、目の前にあるものを掴み、向こうにある何かに興味を示して近づこうとする。
親はそれをみて「おぉ、おもちゃを握れている」「ハイハイが早い」と喜ぶが、当の本人はただ興味に任せて突き進んでいるだけ。

その突き進んでいるだけという感覚が非常に大切なのではないか?と思い始めた。


私はほとんどの行動を「意味があるか」「他人の権利を侵害しないか?」といった思考で計る。
そこで「ピンポーン♪そのとおり!」という答えが出れば突き進むけど、「ブー、ワガママです」という答えが出ると取りやめる。

赤ちゃんの時、あんなにも自然に出来た興味に身を任せるってこと、今出来てない。

最近、子供の絵本をよく見る。
絵本には色々あって、身体の仕組みを習うもの、躾を促すもの、正義感を育むものなど、親の教育に一役かうものが多い。
けどそれとは違って私が見るのは、「THE 子供デス」といった子供ならではの無邪気さが描かれているものだ。

その絵本の世界には、ルールらしいルールがない。
ただ心のままに生きる子供の素晴らしい伸びやかさが描かれている。
いつの頃からか、そんな素直な心を忘れてしまった。

・・・もしかしたら意識が出来上がり始めた時から、母の「ベキ論」に翻弄され、素直さが消失したのかもしれない。


「私は私です」という言葉の意味をどれだけの人が理解できるのだろう?
常識とか、競争とか、利益とか政治とか、そんなものに振り回されて自分の興味を失っている人、結構いるんじゃないか?
それは自分が育っていく中で、一番消えやすくつぶれやすい「我(われ)」を守ってくれる親が不在だったから。

でも今は成人したから、その「我」は自分で守っていくんだよね。
絵本を見つめながら、どうやったら「我」を取り戻せるのか考える日々です。