心の流れBlog

心の守り方を考える

男女とも相手に求めるのは「安全基地」

「どんな人が好みですか?」という質問
人によって分かれると思います。

 でもこれだけは多くの人が外せないなと思うのは、「自分のよき理解者であってくれる人」だと思う。

なぜ誰かと一緒にいるかと言えば、自分がピンチの時、迷った時、支えになって欲しいから。
人は一人で生きていくのは、心細いものなんです。特に身体が衰えたときや能力が落ちてきたときは。

でも実際人は「孤独」を背負っており、自分の代わりに相手に受験してもらうことも、手術を受けてもらうことも、交渉してもらうことも出来ない。
でも、励ましてもらうこと・応援してもらうことならできる。

励ますというのは一見すると誰にでも出来るように思う。
けれど、どう励まして欲しいのか、いつ励まして欲しいのか、そもそも「励ましてくれ」と言葉に出されるのか出されないのか、といろいろな要素がかみ合って、励ます行為となる。

タイミングがずれても、励ます内容がずれても、励まして欲しいという気持ちに呼応していなくてもNG。
結構シビアな条件をクリアしないと、励ますということでさえ効果がでない。

では、その条件の見極めをどうやるかと言えば、相手の発する言葉、表情、置かれている状況から判断する。
そんな風に全身で相手の信号を受け取ろうとする行為は、自分のことに必死な人には出来ない。
注意力散漫で、信号を取り間違えるからだ。

ということは、誰かとつきあう、結婚するためには、自分の心の面倒を自分で見られるようになることが必要であり、その上で相手の信号を間違いなくすくい取れる「安全基地」として機能できる成熟度が求められる。

誰かと誰かが共にいれば、危機が訪れるだろうし、意見が食い違うだろう。
そういう山を乗り越えていけるかいけないかは、互いの精神力にかかっている。
それを知って知らずか、人は相手に「自分を理解してくれる、支えてくれる精神力」を求めている。

だったらなおさら、無縁社会を生き抜くために我々が必要なのは「安全基地」になれる能力ではないだろうか?
IQよりも大切な能力な気がする。