心の流れBlog

心の守り方を考える

社交的な人が人見知りな訳

周りの評価は「社交的な人」。でも内心「人見知りなんだけど」と思っている人いますか?

私はそうです。

そこで見た目は社交的、内面は人見知りの理由を考えてみました。

 私は小さい頃から母親に心の支えにならされてきました。いわゆる心の安全基地扱いです。

0歳~3歳という本来なら親に愛着し、心の安全基地としての親を土台として外の世界に接する時期に、私は親の安全を守る役割を押しつけられました。
ですから、当然自分の心の中に親という安全基地は出来なかったのです。
それでも否応なしに外の世界は迫ってきて、しかたなく身につけたのが一時期的な心の安全基地を手早く獲得する技術でした。

たとえ知らない人であっても、話をすればちょっとは知った気になれます。
一人でポツンといると、外の世界が攻撃してきたとき守る術がないけど、誰か傍にいれば我々を守るヒントをくれるかもしれない。
”溺れる者は藁をもつかむ”の精神で必死に何も頼れない世界から、なにかは頼れる世界へ転換すること==誰かに話しかけること だったのです。

他者への興味という開かれた心とは別モノです。
私以外の他者は、私の内心など知るよしもありませんから、「KOMAさんは、本当に社交的ねぇ♪」と評されるのです。
これが内実を知る本人としては如何せん気持ち悪い。
イメージと事実が大きく乖離しているのですから。

世の中には<話しかけていること>が社交的と取られることがあります。
でも実際そうじゃありません。
怖くて話しかけている人がいるのです。
そして怖くて話しかけられない人がいます。

表面だけでは推し量れないことがたくさんある。
だからあまり人見知りの私を「社交的」とレッテル貼りしないで欲しいです。