心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

親の思想通り子供は人間を理解する

インドではカースト制度が敷かれ、バラモン/クシャトリア/ヴァイシャ/スードラと4段階に分かれる。またカースト制度にも乗れない身分の人もいるそうだ。

カーストの異なる人は接することさえ禁じられており、上の位の者は下の位の者を、物同然の酷い扱いをしてもなにも咎められることがない。殺してもそこまで問題にならないような考えらしい。


これは古くからの制度であり、その中の人々はなんら問題視することなく、暮らしている。

一方日本は士農工商が廃止され、全ての人は等しく人権を与えられている。
人を殺せば相手が誰であろうとも殺人罪で起訴されるし、刑を受けなければならない。

同じ地球という星にいながら、大きな差である。

日本から見ればインドは酷い身分差別のある国だとか男尊女卑がえげつないと思っても、インドの人々がそれを受け入れている以上、日本にその制度を破壊する力を持つことはない。
そしてその制度を受けれているのは、親がその制度に従っていたからというのが他でもない理由じゃないだろうか?
もしインド人だからという理由だけでカースト制度に従うならば、外国に出て学ぶときに、そこの学生に「キミは、カースト制度でいうとなんの位なんだい?」と確認しないと交流できないことになり、そんな無理は通用しないので、自ずと学力とか財力とか人脈と言った世界で通用するファクターで自分を図るようになる。

つまりは環境、強いては身近にいる人==親の思想によって、子供の対人への理解は大きく変わるのである。

私は高校生の時、同級生に「あんた、人のことモノのように扱うよね」と言われたことがある。
そんな気持ちは微塵もなかったので心底驚いたし、記憶に深く刻まれた。
意識しなくても、人をモノのように扱うって、どんだけ自分は偉そうなんだ?!

でも今になれば言われたことの意味は分かる。
私は親にとって、自己実現をする完全なる道具であり、道具の意志など認められない小さなコミュニティの中で生きていた。
だから必然とコミュニティの根底に流れる「モノとしての人間」という像に親近感を抱き、自分も相手にそういう接し方をしていたのだ。

子供は生まれてくる環境を選べないばかりか、その環境が間違えていても、環境の渦中にいる間は間違いにさえ気付くことが出来ない。
そして外に出ても、カウンセリングなど外的機関に関わったり、有効なセラピー本に出会わなければ、親の思想を受け継いだという事実にさえ気がつかない。

親というのはそれほどまでに子供に影響を与える大きな環境であるが、未来につなげる有効な環境としての責務を果たせている親はどれほどいるのだろうか?

「洗脳」が怖いと感じている人は多くいるかもしれない。そして親が環境として与える影響は洗脳以上の効力がある。
だから親となった人は、「自分の責任の大きさを感じて子供に接してやってくれないか」とお願いしたくなる。

これ以上私のような酷い人間を生み出さないためにね。