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上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

カウンセラーが否定していいのは命を粗末にすることと殺人だけ

ちょっとこのブログの検索ワードを見ていたら「敏感を否定するカウンセラー」という単語を見つけたので、見つけた次いでに「否定」について考えてみようと思う。

数回の哲学教室を通して、「否定」することがどれだけ対話を遮断することなのかが自分の中でありありと浮かび上がってきた。

人は「否定」されることで、自分の居場所、自分の心を失う。
否定されまくって、身も心も削られっぱなしだと、最後消えちゃう。
そしたら、理性とか思いやりが吹っ飛んで、死の方向に人は向かう。
時に外へ、そして内へ。
命を粗末にすることと殺人。

そうならないために、ぎりぎり理性で立ち止まれるようにカウンセリングは存在する。
どんだけ外の世界で痛めつけられようとも、カウンセリングルームの中でだけは、それは起こらない、いや起こってはならない。
技法として、クライアントが思いこんでいることを解放するために意図的に否定することはあるかもしれない。
しかしそれは純粋な否定とは違う。その人の考えを違うと退けることではない。

たった一つカウンセラーが「否定」できるのが、命を粗末にすることと殺人。
これは、命ある人という存在を脅かす行為であるから、実行することだけは「否定」する。
場合によって、そのような気持ちだけは受け止めることがある。

ではカウンセラーはクライアントの考えをどう変えていくかといえば、「他にどんな考えがありますか?」とクライアントに考えさせたり、自分の考えをわざと出して「私はこう思うのですが、どうでしょう?」と別の考えに触れさせたりする。
そのカードの切り方の的確さによって、クライアントは自分の考えだけが絶対的ではないということ知る。
そうすれば、「否定」なんて強行な手段に出なくても、心の中は変わりだす。

もし検索ワードを引いたクライアントが、カウンセラーの意見によって単に「否定」されていたならば、それはそのカウンセラーのアプローチが間違えている。
カウンセリングは、カウンセラーの意見を通す所ではない。
肯定はあっても、否定はない。そういう守られた場所なのだ。

しかしネット上に「カウンセリングにいったら、意見ばかり言われて不快だった」という文字がある以上、一部のカウンセラーはクライアントに正しい考えを植え付けるのがカウンセリングだと勘違いしている。

大方のカウンセラーは来談者中心療法を用いる。
この方法は、カウンセリングの中心は来談者、即ちクライアントであると定義している。
だからこの手法である限り、カウンセラーは主であるはずがないのだが・・・。
実際、己の葛藤のとれないままカウンセリングを実施しているカウンセラーならば、目の前に耐えきれない状況が発生すると、思わず意見を言って早めに事態を安全・安心な方向へ収拾しようと図るのだろう。

カウンセラーの玉石混合がクライアントに混乱を起こす。
そんなんやと困るなぁ、というのが私のクライアント時代の感想です。