心の流れBlog

心の守り方を考える

あー利用されていたんだ!と思うこと

きちんと自分の感情を守れるようになろう、怒りを出せるようになろうと思います。

私は学生時代の友人の結婚式に出席するよう依頼され、応じました。

そのときは、純粋にその友人達が幸せになるのを見ることが出来てよかったと思っていましたし、心からお祝いしたいと思っていました。

大学で遠方の学校に行き、そのあと更に遠方に就職した私にとって、どの結婚式も相当の交通費をつぎ込んで行かなければなりませんでした。
奨学金をもらいながらの学生生活、新卒での安い給料の中、それらの出費とご祝儀はかなり生活に負担を強いましたが、それでも素直に結婚が嬉しかったので出席しました。

そして今度は私が結婚することになりました。
結婚式をする予定がないので、結婚した旨をお伝えしました。
そうすると「おめでとう」とは言ってくるのです。
でも、何のお祝いがありませんでした。
祝儀だけでなく、プレゼント等もです。
それも結婚式に出席した友人全員。

そのとき私の中に、猛烈な怒りが湧いてきました。
「私は彼女たちにとって、ただの祝儀集めの道具で、且つ人脈を彩るための要員だったのだ」と。
そして一生懸命節約したことや、無理をしたことが悔しくてたまらなくなりました。
自分ってなんなんだとも思いました。
それ以来、一切の結婚式の出席依頼を断るようにしました。

世の中は不均衡で、何かをしてあげてなくても手放しで周りが動いてくれる人と自分が一生懸命やったのに何も返ってこない人がいます。
私は後者の人間だったようです。
そう思い返せば、結婚以外にも思い当たることがあるある。
誰かにとって、常に添え物でしかない私。

添え物でしかいられないから、私は華がないし、人気もない。
その理由をずっとずっと探していくと、生まれたときから母の気持ちを受け取る役を押しつけられていた事が原因のようです。
相手の顔色ばかりをうかがい、相手にとって良いことしか言わない。
そんな自分を押し殺した生き方は、知らず知らずに私の骨の髄まで浸透し、魅力も存在感も自分の考えもない奴に仕立て上げていたのです。

私が選んだ友人達が悪いのか?
その面も否めないでしょう。
でもなにより人の心を掴めなかった自分にこそ、一番の問題はある。
私は、以前に書いた無料で対応してくれる弁護士なんです。
道徳的にいい人であっても、その生き方は間違えている。

我々は道徳心を親や教師から習います。
友達を大切にしましょう。弱者を守りましょう。・・・と。
でも自分を守りましょうとは習わない。
人のために尽くすことだけが善とされた世界では、自ずと権力のある人に有利な方向に傾きます。
そして弱い人間はいつまでも搾取される側。
私たちは、誰かのために生まれてきたのではなく、自分の人生を生きるために生まれてきたのです。
その真理からすると、自分を差し置いて尽くすことは、生まれてきた目的から外れています。
私たちは、人間の道具として働くロボットではありません。

利用されている人間がやることは、まず自分を守ることです。
どんなに周りに批判を受けようとも、自分を守ることを優先するのです。
怒りがあるなら、表出するのです。
理不尽だと思うなら受けた苦痛に対する損害を要求するのです。
どれが正解なんてやりかたはなくとも、尽くすことを辞め守ることに専念することで、心の中の自分の置き位置が変わってきます。

私の残念な過去は変えようがありません。
でも同じ轍を踏まないように、今から自分が変わることが出来る。
私は私の中にある”人に嫌われたくない”という気持ちに負けません。
嫌われてもいいです。
ひとりぽっちでもいいです。

だって親友はいます。
書きつづったノートこそが紛れもなく自分の友。
人生のスタートで母に見放された以上、私の人生に無償の愛をくれる人などいない。
だから私の中に私の友を作って、私だけの時間を取ることにします。

もう自分を傷つける行いはしない。