心の流れBlog

心の守り方を考える

自分の注意の仕方がまさに親の完コピ!

私は昔から性格がキツイと言われていました。
相手が間違っているとピシャっと言うのです。
「間違っているのだし、当然でしょ?」と思ってました。

でも言われた側からすると、「正論だけど、もうちょっと柔らかく言えんのかね」と感じてしまう。→そりゃごもっとも。


んで、”なんでキツイ言い方しかできへんのかなぁ”と考えたら、親からの怒られ方がまさにそれだった。

私が小学生だったあるとき、初めて皿洗いにチャレンジしたときのこと。
当然皿の洗い方が分かっていないので、スポンジに泡を含ませてごしごししてからさぁ~っと水ですすいで、水切りカゴにポンっと入れた。
母親の見よう見まねだったのだ。
横にいた母親はすかさず、「ほら、ココ(皿の裏)!泡が落ちてない(怒)」と言ってきました。
素直だった私は、「そうか、私がちゃんとすすいでへんかったんやな」と反省しました。

このように[出来ていないこと]を指摘することだけが教育だったのです。
記憶にないものの、万事こんな感じで注意されていたと思います。

つまり相手に対して手加減するとか出来たことを褒めるといった類の動作を見たことがないので、私には配慮の精神というのが育たなかったのです。
「部下の育て方」や「円滑な人間関係を作る」という自己啓発的な本を読んだとき、[配慮や温情が必要だよ]と書いてあるのを見て、「そうか~、そっちの方が聞き入れられやすそう」と思うも、実践できないのは私の過去に大きく関わっていそうです。

なにか自分の中で”自分だけ貧乏くじ引いてる。そんな優しい言葉なんてかけてもらったことないし”のような恨みとも感情の消化不良とも取れるものが渦巻いていて、それを取り去らない限り、教育の場面ではいつも”出来ないことを指摘する”が前面に立ちそうなのです。

私は母親に「おー、初めてにしては良くできたね。皿の後ろまで気を回せるともっときれいに洗えるよ」と言って欲しかったのでしょう。
その言葉を自分に掛けられて初めて、私は人に配慮できる人間に変われるのだと思います。