心の流れBlog

心の守り方を考える

私が離婚しないわけ

このブログは当初、配偶者Sさんの理解できない行動に対する怒りをぶつけるつもりで書いている節もありました。
はっきりいって、結婚したその日に、「この結婚は失敗じゃったー」と後悔したのです。
恋愛結婚だとか、長く付き合って相手を吟味したからといって、結婚生活は上手くいくとは限りません。

私個人で言えば、恋愛結婚だし9年付き合ったわけです。

それで相性バッチリでしょうと思いきや、即離婚したい、これが現実です。
(未婚の皆さん、夢を奪うようでゴメンね)

でも私よりも後に結婚してラブラブな夫婦であっても、数年すれば離婚している。
全然結婚生活がもっていないのです。

離婚に至る原因はそれぞれでしょう。
借金、暴力、異性関係、非協力的姿勢、依存症、経済的要因、介護などなど、星の数ほどある。
だいたい何の問題もない人なんて、この世の中にいるわけないんです。
だとして、結婚生活がもつかもたないかの違いは何かといえば、「対話力」です。

夫が持つ価値観と妻が持つ価値観が相容れないときがあります。
離婚が許されない時代であれば、どちらかが折れるという方法で収まりを付けてきました。
それだけに「結婚は忍耐だ」とまで言われたのです。

しかし意志の自由が比較的通すことのできる現代。
黙ってひたすら従うことで結婚生活を維持する時代は終わりました。
女性でも働けるし、シングルマザー・ファーザーを支援する動きも出てきています。
結婚したからといって、「忍耐」を生涯貫く必要はなくなったのです。

だからこそ、アッサリ離婚が成立する。
結婚は愛情だけで成り立つ純粋さを帯びてきたのです。

でもホントにそうなのでしょうか?
もっている夫婦はただ愛情だけでなんとかなっています?

夫婦仲のよい人は、一日の間に二人で話する時間が長いといいます。
話すことで自分の気持ちを相手に伝え、悩みを共有し、相手の話を聞いて理解しようとしているのです。
話すことで、よき効果をもたらし、効果の積み重ねが信頼を固くしている。
きちんと向き合い対話が出来ている証です。

お互い別個の人間ですから、ときに苛立たせられることがあります。
そのときでも、相手を責めるのではなく、相手のどこが問題点でどう改善すればいいかを対話することで解消していくと、離婚という事態にはならないのです。

私も結婚当初は、苛立たせられることをそのまま相手にぶつけていました。
「人の心が読めない」「頼りない」
私の不満を解消することは夫のつとめだと信じて疑わずにいたのです。
しかし夫の様子を見ると、どうも私の主張が分からない、どうしていいのか見当がつかないという感じでした。

最初は「頭悪い」と頭ごなしに否定していた私も、それなりの精神知識を身につけ、自分達に当てはめて考える内に、私の問題もあり、夫の問題もあることに気がつきました。
そしてその問題は今発生したものではなく、遠く遠く昔の生まれに起因することが分かった。
以来夫を責める回数が減りました。

私たちは親や環境を選んで生まれてくることが出来ません。
過干渉な親の元に生まれた私と、ネグレクトな親の元に生まれたSさん。
互いに生を受けた直後から、でっかい十字架を背負わされていたのです。
その十字架、背中に背負っているので自分では見ることが出来ません。
しかし相手の十字架なら見ることが出来る。
見えるものを素直に相手に伝えることで、相手もまた自らの十字架への対処方法が見えてきます。

必ずしも結婚がいいとは思いませんが、決意を持って結婚し、二人で2個の十字架を背負っていくことは、一人で1個の十字架を背負うこととまた違う、味わいと見識の深さをもたらしてくれます。
結婚なんてちっともバラ色じゃないし、シンデレラみたいに「幸せに暮らしましたとさ」にはなりません。
それでも対話さえ忘れなければ、やっていけます。

一人ではできないことも二人ならできる。
これは真実だと思います。