心の流れBlog

心の守り方を考える

いただいたコメントから考える

そらさんから「歯の浮くセリフ」記事に関するコメントをいただきました。

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KOMAさま、こんばんは。
いつも読ませていただいてます。

今日は、『歯の浮くセリフ』に深く賛同しました。
私もカウンセリング、催眠療法、ファミリーコンステレーション、キネシオロジー、占いetc と様々なものを体験し、よく言われたのが『きた時と今と表情が違いますよ、綺麗になりましたね 』
まさしく歯の浮くセリフ❗

私は単にその場の雰囲気に慣れて、多少表情が緩んだだけだろうと思っていましたが、自分は何も変わってないのに押し付けがましさを感じてすごく嫌でした。
カウンセラーやセラピストに効果ありません、今だに苦しいです、とどんなに言いたかったことか。
○○○○人を助けた、と勝手に実績にされたら新たな被害者生むわ❗と思って、憎々しく思ったものです。
大袈裟ですがカウンセリングは高価だし時間もかかるし。。
今通っているセラピーは一年になりますが、先日、また同じことを言われました。
初めて効果を実感できるものなのと、おべっかを言うタイプではないので、今までとは一緒ではないと思うものの、それを言われると何故だかちょっと冷めた気持ちになりました。
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読んだとき、とても正直に自分の心を吐露した文章だなと思いました。
心に傷を負う者は、意思表示して当たり前と感じることでさえ、周囲についつい気を使ってしまい、難しい。
唇を噛んだその奥に、意思表示できない自分への苛立ちと、「そんなこと(歯の浮くセリフ)言わないでくれよ」という思いが立ちこめている。

クライアントとしては、ずっとずっと拾われなかった気持ちを、これ以上抑えつけられたくないんです。

けれど治療者側がクライアントの弱い意志を気づけなければ、それはなかったこととして治療者に都合良く処理される。
精神世界を取り扱う者としては、横暴な行動と言わざるを得ません。


しかし、立場を反転してカウンセラー側に立って考えると、そもそも我々はどこまで他人の心を見通せるのでしょう?
ある人がカウンセリングを受けて、改善の兆しが見えたとしましょう。
けれど本人はまだ何も変わっていないと思っている。
だとすれば、治療者から改善していると告げられることで、真の自分の変化に目が向くようになり、双方にいい影響を与えるでしょう。
反対にカウンセリングで改善が見られないのに、治療者の都合で改善したと定義されたら、クライアントは失望します。
どこの時点で改善を口にするのか?その線引きはものすっごく難しい。

今のKOMAの力では、その時点を見極めるしるべが見つけられていません。

奇しくも本日マイケルサンデル教授の白熱教室をベースとしたカントの哲学について学んできた中で、

「道徳的・宗教的深淵に関わり、関心を向け、ときには挑み、競い、そしてときには、耳を傾け学ぶこと」が「尊重」なのではないか?
~中略~
しかし私には、「他者を深く考え、関与していくこと」は、多元的な社会にはより適切でふさわしい理念のように思える。私たちの道徳的・宗教的な意見の相違が存在し、人間の善についての究極的な多元性が存在する限り、私たちは道徳的に関与することでこそ、社会の様々な善を、より深く理解できるようになると思える。


とあるように、たった一つの考えではなく多元的なものの考え方を諦めないことで”善”、即ちこのケースでいうと[クライアントにしっくりくる良き影響ある言葉]にぶつかるのだと思います。

簡単に導けない解であっても、考え続ける限り、その問題を放棄したことにはならず、そういう意味では、治療者は”やさしく真摯である”と言えましょう。
先の記事において、私が「もう少し深く考察を要する内容だとは思います」と述べたのは、今この問題に対して、関係者である我々が未熟で成長途中だと思うからです。

だとして、なおさら我々は日々見極めにくい他者の考えをどう拾っていくのか、真剣に取り組まなければならないと考えます。