心の流れBlog

心の守り方を考える

「ボクの事が本当に好きだったら」免罪符

恋愛中に、親との同居はしないと話し合っていたので、プロポーズを受けたら、後になって同居の話が出てきて、その理由が「ボクの事を本当に好きだったら、こんなことくらい聞いてくれるよね」。

・・・呆れて物も言えません。

そもそも「ボクの事が好きだったら」で全てが通るなら、話す必要なんてないんだし、もっといえばつきあう必要さえもない。

いきなり結婚すればよい。
だって夫側は自分の言い分が100%通り、妻はその言い分を100%受け入れるのが前提だもの。衝突の起こりようがない。

こういう男性を見ると、「バカか?」と思ってしまう。

オマエが自分でこうしたいという意志があるように、彼女も意志があるんじゃ!!
日本では人は性別関係なく、ビョードーなの。
日本国憲法で習わなかった?

第24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。


小学校で習う内容が大人になって理解できていないなんて、重篤な状態だ。
江戸時代ならまだしも、現代においてこんなことをいう人間がいるなんて、頭が痛い。

「好きだったら」はそんなにも強力な免罪符なのだろうか。
確かに<依存>を<好きだ>とはき違えた人なら、「好きだったら」免罪符は通る可能性はある。
ただしそれは<好き>の皮を被った<依存>なので、一度浮気でもしようものなら、「裏切られた」という思いがバクハツして、たぶん命を奪われることになるだろう。

かわいさ余って憎さ百倍 とはまさにこのことだ。

「かわいさ」を侮ってはならない。

大人の話し合いとは、一度決めた事は守る。
どうしても守りきれない場合は、事前に話し合い、相手から了解を取る。
免罪符は当然ナシである。

彼女が正常であれば、この男からさっさと逃げるだろうが、「この年だしー」とか「もう後がない」と焦る気持ちに目が曇って結婚すると、後が悲惨だ。
少なくともこういう男女の元に子供が生まれて欲しくない。
ずっと両親のいがみ合いの最中で生きていかなくてはならなくなるだろうから。