心の流れBlog

心の守り方を考える

言葉に出来る人が必要とされる

私達は、自分の言いたいことを口にしているようで、していない。
自分の言いたいことを端的に表す技術がないし、そもそも自分の言いたいことを意識の上に上げることさえできていない。

メディアで絶賛される人は、この言いたいことをちゃんと言えている人。

周りに真意を伝えられている人だと思う。

なんでまた自分の心を閉じこめてしまったか、表現する技術を磨かなかったかといえば、おそらくそれを悪いこととして教育されたからだと思う。
だから日本人は表面上穏やかだし、親切だけど裏では全然違うことを言うとガイジンに不思議がられる。
思ったことを思った通りに言う文化とは、相反するので理解されないのだ。

最近になって思うことは、「結局思ったことはちゃんと伝えないと後でぶりかえす」ということ。
”私さえ我慢すれば”は、自分に通用しない。
その我慢、溜めてどこへ吐き出すのですか?
自分より弱い者への愚痴ですか。自分への当たり散らしですか。落ち込みですか。
それであなたは満足できますか。

居酒屋でサラリーマンが上司の愚痴を言っています。
主婦が主婦仲間と旦那への不満を言っています。
子供はSNSで同級生の悪口を言っています。

みんな溜め込んだものをどこかに出そうと必死です。
だったら溜め込まないように少しずつでも努力をしなくてはいけません。
言いたいことを適切に伝える技術を磨かねばなりません。
あなたが溜め込むことで、それを吐き出される被害者が出るでしょう?
その被害者は、また別の被害者を生む。
ネズミ講式に被害者が膨れあがるのです。

自分の感情をぶつけることが言いたいことを言うことではありません。
自分の真意を伝えることこそ言いたいことなのです。
他者の言葉が自らを傷つけたとき、傷ついた自分を感じ取り、その場で言葉に出来るでしょうか?

私はまだ即座に出来ないけど、努力します。
自分の心を素直に表現できるよう努めます。
そうすれば、いつか他者の気持ちも表現できるようになると思うから。

人に必要とされるには相手の心を代弁できるくらいの観察力、傾聴力、心の機微を読み取る力が必要です。
それを己に出来なくて、どんな他者に出来るでしょう。
人の心にだけは繊細でいたいと思います。