心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

母子家庭の主張は正しいか?

昨晩、NHKの「シングルマザーズ」という番組を観ていて、うーん と考えてしまった。
児童扶養手当の削減に対抗するべく、母子家庭の親が国会の前でリレー演説するというもので、スピーカー片手に経済的窮地を訴えていた。

食べ盛りの子供に十分な食べ物を食べさせてやれない不自由さは分かる。わかるんだけど・・・、それを主張するのは子供であって欲しいと思うのだ。


子供は社会全体で守らなくちゃというのがKOMAの意見なので、子供が身体の成長に必要な栄養を取りたいというのならいい。
でもそれを親が主張するのはどうだろう?

だって母子家庭とはいえ、親は既に子供という宝を手にしている。
不妊で経済的に困窮して治療を受けられない人がいる、家の問題や負った障害で結婚出来ない人がいる。
そういう人は子供にさえ会うこともできない。
じゃあ社会がそういう困っている人に十分支援しているかといえば、そうでもない。
だから子供を諦める。

子供にさえ会えない人と子供を持つことの出来た人、平等だろうか?
子供を持つことの出来た人は子供の食費を支援してくれと国民全員に税金負担を強いれる立場にいるんだろうか?
私は必ずしも「そう!」と言い切れない気がする。
自分の責任で子供を産んだのだから、そこは自分で歯を食いしばってでも耐えるしかないのかなと思う面もある。

しかし子供が、「隣の子はハンバーグを一人一個食べられる。でも自分はそれさえもままならない。もっと食べたい」と主張することはあっていい。
子供はなんの意志もなくこの世に産み落とされたのだ。
生まれた以上まっとうに生きたいと思うのは当然である。
そのために税金負担をして下さいとお願いするのは権利だ。

そりゃー同級生からはバカにされるかもしれない。
でも犯罪を犯すより、自分のまっとうな主張をするほうがずっと賢いし、社会勉強にもなる。
人は経済的に平等で生まれては来ない。
自分の食い扶持を早くから稼がないといけない人、死ぬまで稼ぐ必要のない人と色々いる。
でも大概の人は成人したら自分で自分の食い扶持を確保する。
それが貧困である家庭は前倒しというだけのこと。

親が子供を守りたいというのは、本能でありエゴでもある。
そして子を持つ親だけが特別扱いされることはない。
自分の主張の裏に、そこから取りこぼされている人というのが必ず出てくる。
取りこぼされた人にも納得の出来る主張とはどういうものなのかを考えなくてはならない。
どんなに正しい主張であっても、エゴの影は完全には消えないのだから。

同じ主張であっても、角度を変えれば他の人を傷つけずに済む。
自分たちがマイノリティー故に傷つけられるのと同様に、さらにマイノリティーの人はもっと傷つけられている。
その事実を想像するだけでも、なにかが救われるような気がしてならない。