心の流れBlog

心の守り方を考える

怒っているのは、その人の勝手と割り切れるだろうか?

他者が気に入らない言葉を言うと攻撃してくる人がいる。
理由は自分が怒ったからだ。

その人を侮蔑したり、他人を貶めたりすることなら、怒るのも理解できる。

でも、その人のトラウマに関係する話が偶然持ち上がっただけ とか、全然関係ない話からその人が自分の記憶を誘発されただけ というときに、怒られたらどうだろう。

人は怒られると萎縮する。
自分の行動を制限するようになる。
怒る方は唯我独尊のような気持ちになっているので、「そんなの知るか!」と思っている。
しかし、それはエゴの垂れ流しではないだろうか。

自分のためにいる相手など一人もいない。
それを肝に銘じず、「オレの気分を害したから怒るんだ!」と相手を制圧する意味を込めて怒っていると、その人は嫌われ独りぽっちになる。

そこから足をじたばたして「なんで分かってくれないんだー」「寂しいじゃないかっ」といっても後の祭りである。

ただこのような人は意外と多い。特にネットの世界では匿名性に守られて、自分のエゴを堂々と人に押しつけて怒る人の多いこと。
どんだけトラウマ未処理人間がおるねん!

ということは、ネット社会で生きるために、怒りの原因は「我ではない」と距離を置くこともまた必要なのではないかと思います。
全ての怒りに萎縮していては、人間心臓がいくつあっても足りません。
「あの人の怒りは、あの人のもの」と割り切れたとき、胸を張って物言いが出来るのだと思います。