心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

尽くすについて考える

おはようございます。今日はこの3年の間で珍しく早起き出来ました♪
6時半から犬の散歩をして、ご飯を炊いて、味噌汁を作って、風呂掃除をして、風呂に入って、Sさん(配偶者)を起こしてとフル回転で動きました。

Sさんが身支度をしている間に、ゴミをまとめて(いつもはSさんがやる)、Sさんが夕方食べるおにぎりを作って、水筒にお茶を入れるまでやったとき、内心「私って尽くす妻だわぁ♡」と自己満足しました。


でも考えてみれば、いつもはSさんが出勤して2時間後に起きるので当然これらの作業はやっていないのです。とすれば、早起きしたからといって、こんなにせせこましく動き回りSさんをサポートしなくてもいいじゃないか!という気もします。
「なぜ私はそこまで人に尽くしてしまうのだろう?」

それは・・・
私が認められたいからなんだと思います。
Sさんからも、世間からも、自分からも。
尽くしていれば、Sさんが私といる意味を感じられるし、周りからの批判は避けられるし、自分が自分のいる意味を納得できる。
いいことずくめじゃん!と思う反面、「確か尽くすと相手が堕落するんじゃ?」という記憶もよぎる。

もしかして尽くす行為そのものも、依存を生み出す原因になる?!と思いました。
自分に自信がないから人に尽くして人から認められることで辛うじて自分を保っている人は、自分を失うことを恐れてひたすら尽くすことに邁進します。
認められたいというエゴを満たすために使われる相手(尽くされる側)はその思惑をなんとなく感じ取ります。
すると「重い」とか「鬱陶しい」と感じて距離を置くようになるか、「勝手に尽くしてるんだろう?」と感謝の念がもてなくなる。
その結果、尽くす側は捨てられるのを恐れて猛烈に尽くしまくるか、感謝されない自分って何なんだ?と悩みの渦中に入る。
精神衛生上よくありません。

「そもそもなぜ尽くすのか?」というと、尽くす側の認められたいことが理由です。そのようなエゴにはエゴでしか応対されません。
歴史上の偉人は戦地の負傷者のため、国民のために尽くしてきました。
その尽くすと我々が人に尽くすことの意味は同じでしょうか?
私たちは尽くすことでさえも、自分のエゴを昇華することが目的だったりするわけです。

凡人の尽くすは欲にまみれた邪心が起点。
だからこそ、そこそこの尽くすで線引きする必要があるのです。

尽くすことによって得るものもあります。
でも尽くすことによって押しつけるもの・失うものもある。
それ故バランスを要求されるのだと思います。