心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

派遣300万円女性は正社員700万円男性を求めてはいけないのか?

発言小町の「婚活相手で迷っています」というトピックを読みました。
皆さんの答えは「派遣で大して年収もない若くもないトピ主が多くを望みすぎ!」というお叱りでした。
私も自分と同等の人が一番無理なく暮らせるのではないかと思うのです。

一方で親から刷り込まれた「学歴があって、安定した地位で、たくさん稼いでくる男性の庇護の下、女は子育てに専念すべし。それこそ良妻賢母。」を遂行しようとすると、自然と正社員700万が頭をよぎる女性の気持ちにも同情できます。


このトピック以外にも、総じて身の丈より高い理想を掲げる女性に対し、批判の声が上がっています。

でも、思うんです。理想を追い求めてはいけないことなんだろうか?と。
私が身の丈以上を望む人に批判的な目線を向けるとき、その奥に「私だって結婚では理想を諦めたのよ」とか「私はみんなが遊んでいるときに必死で勉強したのよ」みたいな怨念があって、そんな私の成仏していない気持ちを逆撫でするように、あれもこれもと声高に叫ぶ人を見て、「ふざけんな」という気持ちが湧いていることに気がつきました。

確かに人間相手と言えども市場原理は働きます。
魅力指数の高い人からお相手が見つかる。だから平凡な魅力を持つ人は、魅力指数の高い人を求めた所で、その人に検討さえしてもらえない。
でも、それは誰にも止めようのない経済原理みたいなもので、それに口を出すことは意味がないと思います。
ところが、多くの人が掲示板に参戦して、私と同じくトピ主をこてんぱんにやっつけ考えを矯正しようとします。
トピ主にお相手が見つかろうと見つかるまいと自分には影響ないのに です。

そんな私たちはトピ主の言葉を通して自分の恨みを投影しているのではないでしょうか。
「私だって・・・」「もっと○○したかった」という妥協とも諦めともいえる思いが苦しいから、トピ主の自由奔放な考えを無視することができない。
それもトピ主の持っているものと自分を比較して、自分の方が上だとなおさらトピ主の高い願望に腹が立つ。

妥協と比較を止めない限り、隣の芝生はいつまでも青く、幸福は訪れません。

いいじゃないですか!
身の丈以上を望む人は勝手に望んでおけば。
話を聞く必要さえありません。

「私のどこが結婚できない理由なの」とお相手に問われたら、恨みをはさまずに淡々と市場の傾向を述べればよろし。
それ以上はご本人が考える所です。

今までかなりイジワルな気持ちでこの手のトピックに目を通してきましたが、その理由が自分の恨みだと分かってスッキリ。
私が対処していくのは恨み浄化方法です。
トピック主を矯正することではありません。