心の流れBlog

心の守り方を考える

日本人と「甘え」

ダイヤモンドオンラインに「一目惚れ体質で結婚願望が強いのにデートは超苦手!」という記事を見つけた。

私の個人的解釈では、日本人は惚れる力は適度にあるのに、コミュニケーション下手で、交際には至らないことが多いと思う。

故土居健郎氏が言う「甘え」の感覚は日本独自の考え方であり、甘え故に「分かって欲しい」「汲んで欲しい」という考えを根底に持つ。
そんな日本人は、たとえ惚れたとしても、相手がそのことを汲んで行動してくれることは諸手を挙げて喜ぶが、自らが危険を冒して相手に話しかけたり誘ったりはしないのだ。

他方で、親世代が経験してきた「結婚」に対して、子は親の甘え(私たちと同じ生活をして欲しい)に応えるべく成し遂げたいと願っている。

外国では、「甘え」という考えがないのだから、自ら相手を誘う以外交際する手段はないし、そのために技術を磨くのは大人になるための必須事項と捉えられている。
妙齢になってもまともに「誘う」技術のない人間は、格下と見られることさえある。

過激なことを言うようだが、日本人は自分に都合の良い妄想を抱きすぎないか?と思うのだ。
自らが惚れるのは、コミュニケーション能力の高い美男美女。
その美男美女が平凡な自分に惚れることを妄想する。
ところが立場を換えて、自分が”コミュニケーション能力のない平凡な容姿の人に惚れる”というシチュエーションは考えない。
それを考えてみると、「そんなシチュエーションは存在しない」と気づける。
すると自分の欠点が見え、初めてそれを改善しようと前に向きになれる。

結婚できなかった理由に「大人になれば結婚できると思っていた」というのがある。
それこそ妄想能力を磨き、現実対処能力の鍛錬を怠ってきた結果だと思う。
若いときの方が失敗しても苦笑いや照れで通り過ごせることが多く、周囲も温かな眼差しで見守ってくれる。
「甘え」による他者への期待は、現実の厳しさを先延ばしにするばかり。
50歳を超えて、人生初のデートに誘おうと思いますというエピソードは微笑ましくもあるが、一方で「えっ?!15歳じゃなくて?遅くないか」という印象を持たれることも確か。
人は無意識にこの年齢ではこれくらいの経験をしているものという前提があるのだ。

妄想のたくましさは、日本人の喜ぶ小説のネタにはなっても、現実社会では使えない。
少なくとも交際に至るためには、自らの「甘え」を脇に置き、相手の「甘え」はなんなのかを追求する視点をもたなければ、振り返ってさえもらえない。
凹と凸でワンセット。凸と凸だとぶつかり合って平行線。
大概の人は「甘え」たいと思っているので、「甘えさせたい」という反対の方向から攻めなきゃね。

ちなみに、「甘えさせたい」からって、相手に「いつでも甘えていいんだよ」とか「ワガママを全部聞いてあげる」とか言うと失敗する。
それは本当の甘えではないから。
甘えとは、相手の考えていることを観察から見抜き、相手が欲する程度を予測して、程度に応じて受け入れたり突き放したりすることだ。
それが出来るようになるためには、自らが「甘え」から脱却すること。
”相手に分かって欲しい”から”相手は分からないのが当然”に視点を切り替え、その先に”相手に何を与えれば自分を理解してもらえるのか”まで考えられるようになって初めて「甘え」から距離を置ける。

ずっと「甘え」の中にいたいのなら、それは恋愛や結婚ではなく、一生親の傘下で保護されたまま生きればよい。
そして親が死んだら、自分も同時に死ぬ。
まぁ、そんなことは滅多にないので、人生のどこかで「甘え」から抜けなくてはいけないときが来るのです。
だったら早いほうがいい。
若いときの方が体力もあるし、柔軟性もあるからね。