心の流れBlog

心の守り方を考える

人と距離を置いた方が幸せでいられそう

独りぼっちでいると~とっても寂し~い♪ byキャンディーキャンディーのテーマ♡

年がバレちゃいますね。

さて、最近お客様が家にきました。

学生時代の同級生A(といっても8才年下)です。
田舎で果物が美味しい季節になったので、食べに来ないかと誘いました。
私も知っている同級生Bを連れてきていいかと訊かれたので、快くOKしました。
でも、そこからが理解に苦しみました。

到着時間はAに任せるよと言ったにもかかわらず、「決めて」と言われ、Bの交通手段を確認しておきたかったので、Aに「Bは何で来るのか聞いておいて」と依頼し、Aは了解したのに連絡無し。
前日までどうなるのかサッパリ?←仕方ないのでこちらからメールして確認した。
当日は「予定通り電車に乗ったよ」という連絡メールは来ないし、お土産を含めてかなりいろいろごちそうしたのに、御礼メールもなし。(手みやげはくれた)

基本的に礼儀正しい人なのだけれども、心のどこかで私を軽んじている感じがした。
相手に対する”心”とか”心遣い”というものがない。
それでもAには多くの同年代の友人がおり、その人たちとつきあっていけるのだから、Aの世界では問題ないのだろう。

別の日。
ご近所さんが「私は2~3年後に受講しようと思うのだけど、あなた今受けない?」と勧めてきた勉強会に申し込んだら、ご近所さんも今期申し込んだと言ってきた。
隣の市で開催されるので、車を運転する私は「だったら、一緒に行きましょう」と声を掛けたのに返事がなかった。
ちなみにこのご近所さんと何度も私の車でランチに行ったことがあり、私の運転は荒いということはない。
考えられることは、乗せてもらうと交通費は浮くけど、気を遣わなくちゃいけないから面倒だなとでも思ったくらいか。

他者の心の内は誰も分からない。
AにはAの正しいと思う世界があり、ご近所さんにもご近所さんの思う世界がある。
私とは異なるそれらの世界に接する度に、頭にデッカイ「?」が浮かぶのだが、それを問いただす権利は私にない。
一つ言えることは、私は他者と距離を置いて暮らした方が、「?」の回数が減る分気持ちを振り回されず平穏に暮らせそうということだ。

ひとりぼっちは寂しいとずっと悲しく思っていたが、丸3年、ほぼ一人でいたら、この状態に慣れてしまった。
メールも電話も年賀状も来ないが楽。

着の身着のまま木の根っこ♪のように、その場で出会った何かを紡ぎ合わせて生きる方が合っている。
ちゃらんぽらんな自分の性格に、さらに加速が付きそうだ。