心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

ACが回復できる手近な方法の考察

ACばかりの集まりがあったとしよう。
攻撃的な人は誰もいない。そのときあるACが自分の辛い体験を語ったとする。
同じ体験をもった人は頷き、耳を傾けるだろう。
一方、その体験を持ったことのない人、もしくは自分の物差しでもっと壮絶な体験を
していると思っている人は、話題が途切れたら我先に自分の悲惨ストーリーを述べ
ようと虎視眈々その時を狙う。

ACが世の中で、若干疎まれるのは、同情されたい気持ちが強いからだ。

同情されることで、「本当に自分は悲惨な家庭に育ったのだ」というフィードバックが
得られ、自分の被害予想(妄想?)が被害事実として自己内に認定される。
自分が感じていたあやふや事実が他者に承認されることで、被害者として居ることを
自分に許可できる気がするのだ。
許可の回数が増えるほど、確信を持って被害者立場に立てる。

ところで、人の気持ちは移ろいやすい。
たとえ相手に壮絶な過去があろうとも、一度聞いてしまえば、既出事実として認定され
それを上回るビックリストーリでも出てこない限り、二度も三度も聞きたくない。
それに他者があなたの悲惨ストーリに興味を持つのは、自分の過去と比較して、
自分はマシだと思うためだ。
一度過去の比較をしたら、もう比べる必要はない。
それだけに同じ種類の話を繰り返しされると、冗長さを感じて嫌気を持つ。

ACは被害を語りながら、自分で同情し、時に可哀想にと自らを慰めている。
ACにとって、体験を語ることは回復の第一歩なのだが、周囲は迷惑千万。
自助会はそのためにあるといえばある。
けど、話した回数、構成するメンバーによっては、無関心になられてしまい、手応え
という意味で物足りなさが出てくる。

ACは徹底的に潰された自己像を、そっと大切に包んでくれるサポーターが必要だ。
それはもはやお金を払って得るか、マザーテレサ並の人に出会うしかない。
じゃなかったら、こうやってブログに書くかだ。
ブログは時間がかかるし、サポーターは得られないかもしれない。
ただしどんなにしつこく同じ体験を書こうとも、それは自由。
私はACの回復には、しつこさと粘り強さが重要だと思います。

他者に疎まれない、お金もかからないという意味では、最高のツールです。
皆さんの意見はどうですか?