心の流れBlog

心の守り方を考える

依存の誘発の危険性

今は人と接することを極力減らしているけれど、そのうちまた接する機会が増えた
時に、懸念していることがある。
それは「依存を誘発するかもしれない」こと。

以前、人の相談に乗ったとき、私が受容したことで、「やっと話せる相手が

見つかった!」と大喜びされてしまい、引き続き受容を期待されてしまったことが
あった。
次から次へ相手の抱える不安をぶつけられ、私は辟易してしまった。
受容される側は、気持ちの安定が得られる。でも私の得られるものは、ない。
時間を取られ、気力も取られ、得るものがなければ、継続して受容は出来ない。
必然的に2度目は受容を断つことになり、結局相手は元の暗黒の世界へ戻る。

この場合、受容したことは意味があったのだろうか?
相手は救われたのだろうか?

そこがよく分からない。

受容を身につけるには、それ相応の訓練を要す。
自分の価値観を横に置いて、相手の価値観にフォーカスするには、自己を確立し
他者目線に移ることのできる技術が必要。
もちろん、あなたの親が出来た人で、相談に乗る達人なら、その背中を見て育った
子供は自然と受容できるようになる。
ただし、そのような親は稀である。
受容を学ぶ授業でもあればよいのだが、せいぜい市民講座止まりで、それも
知識として得るのであって、心のありかたから改善するのとは違う分、本質に
迫りきれない。

絶対的に受容スキルを持つ人の少ない中、無報酬で受容を求められ、それを
断らざるえない状況はかなり辛い。
さらに私自身ACなので、アサーション(さわやかな主張)が下手だ。
報酬が必要なことを相手に提示し、その条件で受容を請け負うなんて、できっこ
ないと心のどこかで思っている。

普通の環境で育ち、受容もアサーションも両方出来る人は、一体どうやって
人間関係を築いているんだろう?
類は友を呼ぶというから、そういう人には、同じような人が集まってきて、報酬なんて
気にせずに、うまくギブアンドテイクが出来ているんだろうか?

まだ自分と他者の区別があいまいなKOMAは、ついつい無理をして相手に尽くして
しまいそうで、人が恐いです。