心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

たくさんのアダルトチルドレンもどきがいたとしても・・・

アダルトチルドレン(AC)は医学用語ではない分、判断ができない。
親に過度に躾をされ、良い子であることを強制された結果、自分の考えを持つこと
も知ることもできず、そんな自分に虚無感を抱き、生き辛いと悩んでいる状態。
→そんなの誰でもそうじゃね?と思うなら、みんなACであると私は思う。

しかし、私のように身体に症状が現れたり、アルコール中毒の親がいる、性暴力を

受けたことがあるなど分かりやすい場合に限って、「まぁ、ACなんじゃないか」と認めら
れているのが現状。
まだなんとかギリギリ耐えていて、表面上はうまく社会生活を送っている人に対して
本人が申告したからといって「ACやねんなぁ」という目を向けられることは少ない。
けれども、実際私も身体に現れるまで十何年とかかったわけで、20代のころに
ACという概念と出会って「ACかもしれない」と声を上げても、周囲から「んなバカな」
と却下を食らったことだろう。
ACなのに、本当にギリギリ追い詰められるところまで来てしか、周りは認めない。

ACだから特別扱いして欲しいとかではない。
ただ、本人が「なんか分からんけど心苦しいんやんか~」といったら、周囲が
「そうなんか。苦しいの大変やな~」っていって欲しいのです。
それを診断されてないし、一般的なACの経歴と違うから気のせい ってやると
余計に本人が苦しくなるんで、やめたって欲しいんです。

いいやないですか、苦しいちゅーたら、苦しいのですから。それをありのままに
認めてくれませんか?

心的現実っていう考え方があります。
事実はどうであれ、本人がそう思ったらそうと認める考え方です。
本人がACやと思ったら、周囲にACと認められることで、心が埋められること
があったり、軽くなることもあるやもしれない。
ACやから苦しいねん。もうちょっと聞いてくれる?と言えることで、本当の苦しみと
向き合えるチャンスが訪れるかもしれない。

なのに「病は気からっていうやろ?だからACやなんて思って逃げの姿勢に入ったら
良くなるものも良くならんで~」という体のいいこと言われちゃったら、せっかく
出かかった苦しみ正体くんも奥にひっこんでしまうのです。
誰かが聞いてくれるから、ACかそうじゃないんかも含め本人が冷静に考えることが
出来る。
そこへ、周りも自分の苦しさを抱えているから「あんたの甘えた考えなど聞けません」
とシャッター下ろしてしまうから、お互い孤立する。

最近、個の社会が進み、自分のことは自分で という風潮が強い。
だからこそ、明らかなるACを除いてACもどきの弱音は、自分で処理してくださいな
と言われる。
個だからこそ横とのつながりもまた重要な要素でしょう。
つながろうとするときって、震災などピンチの時が多いんです。
相手が手を伸ばしてきた時というのは、相手がピンチのときなんです。
そういうときこそ、しっかり握り返してやってください。
たとえ見た目がもどきであろうとも。
ピンチはピンチなのですから。

ただしACもどきくんは一つだけ心がけなくてはならないことがあると思います。
人に話を聞いてもらうということは、相手に負荷を掛け、また相手を拘束する
ということです。
カウンセリングなら1時間で一万円かかります。
周囲は素人だからといって、0円ではありません。
あなたが相手に何も御礼をしなければ、相手は一度は聞いてくれるものの、それ
以上助けてはくれません。
親しき仲にも礼儀ありとは、こういうところで使うのです。
聞くという”愛”の行為は、”なれあい”という情の行為とは違います。
一度聞いてくれたから、また聞いてくれると期待するのは、まさに”甘い”考えです。
ピンチで困っているのは分かりますが、相手は他者であることを肝に銘じ、先の
教え
に従って言動・行動をされることを強くお薦めします。