心の流れBlog

心の守り方を考える

体罰はアリかナシかという議論

「ホンマでっか」を見ていたら、植木先生が多少の体罰はアリと言っていた。
私は体罰という言葉のイメージが悪い。
けど、植木先生の説明を聞いていく内に、体罰というより身体で覚えることは
大切だと思い始めた。

赤ちゃんは言葉が通じない。なんの知識もなく好き勝手に動き回る。

時に危険な物に近づき、危ない物を口にする。
そんなピンチの時に、言葉が通じない赤ちゃんにダメの信号が伝わるにはどうしたら
いい?って考えたら、五感を刺激するのがいいとなる。
五感の内一番イヤだと感じるのは触覚の中の痛覚。痛いと思えば、赤ちゃんは
自然と危険物から距離を置くようになる。自己防衛反応。

つまり自己防衛反応を誘起させるために、危険物に近づいたときのみ、言葉&痛み
で赤ちゃんとコンタクトを取る。->これは保護者として当然の行動。

一方虐待は、赤ちゃんをキケンから守るためではなく、大人の気の向くまま、腹のたつ
まま殴る行為。もちろん赤ちゃんは意味も分からず痛みが頻繁に襲ってくるために
怯え、混乱する。

体罰という単語は、どうも罰として身体を叩いて良いというイメージがつきまとうため
虐待、暴力とイメージが連鎖してしまい、一般的に”反対”の意見が多数になる。
体罰という単語を辞めて、身体学習(からだがくしゅう)という名前にでもすればいい。
学習なら、「なんのためにか?」が要求される。
算数なら、数が数えられるように、お金が計算できるように。
体育なら、転んでもけがしないように、みんなで遊べるように。
同様に身体学習では、キケンから身を守るために。

よくある”言うことを聞かないなら殴った”は、キケンを避けるためではない。
つまり、殴った行為は虐待・暴力->NG となり、躾などの大義名分が通用しなく
なるぶん、ごまかしがきかない。

体罰という単語は、ちょっと雑な感じがするので、同じ痛覚を刺激するとしても、
もう少し性質毎に分けて名付けした方がいいんではない?とちょっと思いました。