心の流れBlog

心の守り方を考える

どうして~なの?という疑問の言葉

どうして?という単語、使い方によってずいぶんと意味合いが異なる。
正しい「どうして?」の使い方を一度立ち止まって考えてみようと思う。

女性の典型的な相手への攻め方は

「どうして、連絡くらい出来ないの?」
「どうして、女の人と外で会うの?」
「どうして、私のこと考えてくれないの?」

そう!全部「どうして」から始まってる。
相手が仮にどうして?に物理的に答えようものなら、でもこれくらいは出来るでしょ?と
跳ね返される。
つまりこれは質問ではなくて、自分の欲望の押しつけ。

さて、同じどうして?でも、本人に考えさせるための疑問もある。
カウンセリングなどで、
「どうして、お母さんのことを恐いのかな?」といった質問をする。
本人は苦手なお母さんについて、真正面から向き合うことを避けてきて、なんとなく
嫌いになっている。
そこで、第三者がどうして?の疑問を投げかけることで、本人が自分の心の中を
のぞきに行く。

発言者の欲望が入り交じった「どうして?」は、WHYではなく、自分の思い通りに
ならない苛立ちを反映した雑言だ。
ちょっと毛色は違うが、「どうして、結婚しないの?」もジャンル的にほぼ同じ。
自分の知っている世界以外の異端児をはじく排他的雑言。
どちらの「どうして?」も口にしている発言者の心は美しくない。

私はいままで、そう深く「どうして?」について考えてたことがなかったのだが、
どーも疑問文に特定の色がついているようで、気持ち悪かった。
どうして?がつく疑問に心がざわつくとき・そうでないとき の差がどこにあるのか
→実は同じ単語に全然違った使い方があったからだ。

「どうして?」は何かを解明するためにとても有効な日本語だと思う。
ただ、そのどうして?は発言者の欲だけのために使われてはならないと思う。

自分の日本語が、とても雑で、カドがあって、慎みがないのは、きっとこういう小さな
違いを認識せずに、えいやーと押し切っているからだろう。
気を抜けば使ってしまう「どうして?」という名の欲、心して排除に努めなければ
私は本当の意味で大人になれないんだろうなぁ。