心の流れBlog

心の守り方を考える

クラスであぶれる子

学校でなにか行事がある度、グループを組めという。
仲の良い子同士で集まると、最後に必ずポツンと残る子がいる。
先生が、どのグループかこの子を入れてくれない?といって、しぶしぶどこかの
グループに吸収される。
ということがある。

なぜ、その子はあぶれた(仲間はずれ)のだろう?

人に合わせるのが苦手な子は、群れるのを嫌う。

だから一人で行動し、一人で考える。
ただ、そういった孤高タイプには一種カリスマ性のようなものがあって、群れている子
の一部を惹きつける。
常時ではないにしろ、たま~にお話ししてといったつながり程度はできる。
つまり孤高タイプはあぶれる子ではない。

人のことが全く見えない子は、誰かと話をしても、続かない。
一言二言交わした後、相手は去っていく。
だから、必然的に一人になる。
常時、誰とも話すことなく、あぶれる子になる。

あぶれる子は、人との交わりにおいて重要なことに気がついていないか、もしくは
障害があって人の気持ちを考えられないかの二通り。
それを先生は無視して、とりあえず行事を遂行するために、無理にグループに
しようとする。
無理矢理くっつけたって、接着剤としての会話がなされないのなら、あんまり意味
ないと思うけどなぁ。

問題の放置ってこういうところから始まるのでしょう。
あぶれるのはなぜなのか?
そのもそもあぶれることは悪いことなのか?
根本的なところから、考えていけば、その子の抱える問題点が浮き彫りになるかも
しれない。

あぶれるのが良い・悪いじゃない。
その現実を通して、みんなが学べればそれでいいのだと思う。