心の流れBlog

心の守り方を考える

アダルトチルドレンの不幸から抜ける

高名な先生に、「依存」の傾向があるといわれた。
確かに相手が自分を満たしてくれることを一番の幸せ
と感じている。だから自分の延長上に家族がいると思っている
ところは、多少なりとも依存なのだろう。

では、孤独ってなんだろうと思う。

生まれるときも、受験も、病気を克服するときも、死ぬときも一人だ。
だから、すべてにおいて自分で対処することで、皆が十分に幸せなら、
家族とか恋人とか不要だし、応援とか支えとかの行為は、そもそも
定義すらされない。

人は人の中で生きている。人と繋がっている。
繋がり方は、相手と自分の関係によって強弱があるものの
全く独りで生きていることが幸せという人は稀だろう。
人は誰かと繋がることで精神的に安定する。

繋がるって、依存と何が違うのかな?
フェアーな依存は、全然問題ないんじゃないか?

誰だって、自分が苦しいときは支えて欲しいと思う。
それを求めるからこそ、身近な人が苦しいときは、自然と支える。
そういう相互依存は、けして病的ではないと思う。

私はそれくらいの軽い依存を、家族としていきたかった。
でも、配偶者からは拒否された。
まあ、拒否と言うより、支え方が判らないから放置されたというのが正しい。
こちらが支えても、支えても、あちらから帰ってくるのは、ジュースを
買ってくるとか、メロンを食べないかと提案されるとかだけ。
病気のことは、全く気にしない。
食べ物 > 病気 という位置づけ。

こんな相手を選んだ自分は、なんだったのかと思う。
私は、親から精神的に虐待され、機能不全家族で育った。
だから、精神的に未成熟だ。

親を支えることを要求されたので、いつも精神的に搾取されている状態
だった。親に、「~して」「私を気遣いなさい」「お母さんは大変なの」
言われるたびに苦痛でならなかった。
だから、恋人には、私が「~して」といったら、叶えてくれる人を選んだ。
言えば何でもやってくれる。これこそが愛情だと思った。

月日がたって、恋人はなんでも叶えてくれるけど、言わないとなんにも
気にかけてくれない。どうしたらいいか相手自身で考えてくれない。
本当は私のこと好きじゃない?と思い始める。

愛情って、すべてにYesっていうことや、お願いされたことを叶えることではない。
人間同士が向き合って、一緒に解を求めていくことだ。

今までの間違った恋人選びから、脱却するためには、愛情の解釈を正すことが大切。
いままでのことは、いままでのこと。
失敗しても、やり直せばいい。

アダルトチルドレンから脱皮して、真の大人の人間になれるようにがんばります。