心の流れBlog

心の守り方を考える

人の気持ちが分からない人と生活すると

いつだったか、アスペの人はレーダを搭載していない飛行機のようだと書いた
文章を目にしたことがある。
安全に飛行するために、レーダは必要不可欠だ。だけど、人としてのレーダ(人の
気持ちを読む能力)が欠如していると、事ある毎に対人事故を起こす。

人間は本当に困っているとき、困っていることを的確に相手に伝えることができない。

ただ、焦った表情になるとか落ち込んだりする。

定型の人なら、人の様子という情報と前後で起こったことから総合して、「たぶん
こういうことで困っているのだろう。だからこういった支援の手(言葉掛けや具体的
行動)が必要なのでは?と推測して、実行に移す。

でも、人の心が読めない人には、具体的に「××してください」と指示を出さなければ
トンチンカンの行動をとるか、またはただ静観しているだけになる。
その態度が、家族に心理的な事故をもたらす。

友達くらいの距離なら、気に入らなければ疎遠にするだけでよいので、大して
問題にならないが、家族となれば、距離をとるにも限度があり、またこの態度だと
頼れないどころか、迷惑さえに感じる。

とくに、大きな問題が発生したときは、最悪だ。
すべて定型側が判断して、指示しなければならない。
でも、定型側がピンチの時は、一体どうなってしまうのだろう。
たとえ、死にそうな場面になっても、指示がなければ動かないアスペは、助けて
などくれないのだろう。
これって、一人で生きているのと何が違う?

私の配偶者はいい人。でも、人の心が読めず、私が口にする言葉の重さの軽重が
解らない。
だから、とっても大切な言葉はスルーして、どうでもいい言葉に対して力を注ぎ込む。
その様子を見て、なんてズレているのだろうとため息をつくことしばしば。

優しいとはいったい何なのだろう?さりげなく言った言葉が、重要に受け止め
られて、涙ながらに言った言葉が捨てられる。
さりげなく言った言葉を受け止めてくれるから、優しい?
むしろ、大切な言葉をバッサリ捨てられる残酷さの方が心に凍みる。

アスペと生活すると、定型側が精神的に参るのは、事あるたびにスドーンスドーン
とくるこの冷酷さを連続して体験するからではないか?
精神鍛錬でもしていない限り、悲惨な精神状況下では、誰もが精神的に病む。
定型の一般人は、精神的力強さは一般なのだ。だから、アスペと幸せに生活
することは難しい。

だけど、周りの人はその大変さに気付かず、「どこの家庭でもあることよ~。」と
いう。まじめな定型さんは、「そうかなあ?」と考えて、悶々とする。
でも、心が壊れていくから、このまま放ってもおけない。

定型側は離婚するしか救われる道はないのだろうか?