心の流れBlog

心の守り方を考える

他者の心にフォーカスできない人

いつも自分のことばかり考えている人がいる。そういう人は他者を傷つけても
平気な顔をしている。
それどころが、他者に「あなたのせいで傷ついた」と言われたら、それを攻撃と
捉え、防御する。

一方、他者に心を開いている人がいる。そういう人は他者から「あなたのせいで

傷ついた」と言われたら、(どんな点で傷ついたのか)、(どういう風に傷ついたのか)
と考え、相手の心の内を知ろうとする。
そういう人は決して攻撃的にならず、どんなに相手が理不尽なことを言おうとも
とにかく聴く姿勢を持つし、相手の傷ついた心を知ろうとするため、態度が柔軟で
OPENである。

なぜこんな2パターンの人間に分かれてしまうのだろう?
それは、「自分と他者が別々の人間で、相手のことは自分には解らない」という
ことを理解しているか・していないかの差なのではないかと思う。

自分=他者の場合
自分にとって不愉快な発言は、他者も同様に感じるべきで、もし感じられないなら
ねじ伏せ出でも理解させよう。自分は悪くないという防衛の姿勢。

自分≠他者の場合
自分にとって不愉快は発言は、他者には別の感覚で捉えられる、だからどんな
風に捉えているのか聴いてみよう、そして自分も相手の立場になって考えてみよう
とする。他者へ心を開く姿勢。

考え方の違いで、ここまで態度に顕著な差が表れる。
前者より後者のほうが、多種の価値観をもつ人間と仲良く暮らせるし、仕事も
しやすい。
なのに、前者が多いのはなぜだろう?自分で自分の首を絞めているみたい。

まったく同じ価値観の人などいないから、似た価値観の人と出会っても、違う
考え方が顕著になったら疎遠になってしまう。

親の教育方針の賜物??
高度経済成長期、親が(自分の家庭が裕福になるには?)、(他の子供より成績が
良くなるには?)とついつい他者より優れることばかりに考えていたから、子供たち
もその考えを見習って、自分と自分を盛り立てる周囲みたいな人間の構図を抱い
てしまったのだろうか?

もしそうだとしたら、他者は自分の人生にとって、オプションに過ぎないから、
わざわざ他者の気持ちなどという考えが浮かばない。
まるで奴隷制度みたい。人間を尊重する精神がカケラもない。

そうやって生きていれば、自分が受け入れられることだけに目が向くから
受け入れてくれないなら一人でもいいと割り切ってしまって、どんどん
人から遠い生活になる。
会社はお金を稼ぐ場所で、生活していくうえで避けて通れないから、仕方なく
人間同士で表面上繋がるけど、会社生活が終われば、ブチッと切れる。

そして無縁になり孤独死。
だれもそんなの望んじゃいない。なのにどうして考え方を変えないのか?
人間って矛盾した動物だ。